Thursday, October 2, 2025

2024-10-15 ネパール・エレストトレッキング3日目 ナムチェバザール〜クムジュン〜ソナム

 ※更新日の通り、半年以上放置してから続きを書いてるので何を書いたのか忘れている。同じことを繰り返し書いていても御愛嬌。

5時頃起床。7時頃朝食。高度順応のためナムチェで二泊するのが推奨されているのだが、同じ場所で二泊しても飽きるしナムチェは街すぎるので少し先のサナサ辺りまで行くことに決める。そこなら標高はあまり変わらないので高度順応的にも問題ないだろう。

朝食のオムレツ。食べやすい。

ただナムチェは階段の街。一応昔からここの階段を見てみたいと思っていた人間としては階段巡りだけはせねばならぬ。でも荷物は重いしどうしようかなと思いつつ女将に尋ねると荷物置いていっていいよとありがたいお言葉。なので気兼ねなくナムチェバザールの階段を巡ることができた。



しかし空身で巡ってみると案外小さな街で、2時間ほどで一通り見て回ることができた。

街には薬局があったので胃薬がほしいと伝えると胃痛か下痢か聞かれ、消化不良だというとちゃんとそれに合わせた薬をくれた。助かる。

宿代は4410ルピー 部屋代1000ルピーとちょい高め

10時頃宿を出発し、まずはナムチェの上部までひたすら登る。これだけでけっこうしんどい。そこからは小さなアップダウンを繰り返しながらトボトボと歩いていく。

眼下にみえる谷間にヒラリーブリッジが見える

途中からローツェが見えてくる。初の8000m峰。

2時間ほど歩いたところでソナム(の手前?)に到着。ロッジが3軒ほどあるうちで一番古そうなところにチェックイン。たった2時間だが高度順応日だしあまり重い荷物を背負って行動しすぎないほうがいいはず。お昼ご飯に初めてララヌードルを食べる。
ララヌードルはほぼ日本のインスタントラーメン。非常に食べやすく、食欲が出ないときに重宝した。しかも安い。後で日本で買ってパッケージを良く見たらJapaneseって書いてあって日本の味を意識して作られているようだ。ただし煮込まずにお湯をかけて作る関係で標高が高いところのララヌードルは少し粉っぽい。

ネパールのロッジの鍵は異様に開け閉めがしにくい。数分格闘し、諦めることもしばしば。

しかし高度順応日にただじーっとするのではなく、一度高いところに行ってから戻って来るというのはありのようなので、ソナムから上にいったところにあるクムジュンまで行ってみることにした。

パサン・シェルパの宿

ロッジ・ハタゴ跡で書いた通り、俺はエベレストトレッキングをしながら大沢茂男氏の足跡を辿ることも目的にしていたのだが、「ヒマラヤで泳ぐ」を読むとクムジュンのパサン一家でお世話になったということが書かれている。時代的にはまだ彼のことを知っている人がいてもおかしくない。そんな期待をもってクムジュンまで登っていく。

クムジュンについて最初に目についた商店(左側)で店主に声をかけると「こんにちは」と言われた。おお、なんと日本語ができる方だ。しかも挨拶だけでなく、こちらが聞きたいことを日本語で聞いて、日本語で教えてくれるレベル。すごい。そして彼に「昔、冬にここにきて湖で泳いでいた日本人がいなかったか」と聞いたら「アー、オーサワサン」と。すごい、いきなり足跡にぶち当たった。それならということで、パサン一家を知らないかと聞くと、なんとパサン・シェルパは現在クムジュンでロッジを経営しているという。そこでその場所を教えてもらった。

余談だが俺が事前に調べたうちではクムジュンに床屋があるという情報があった。ナムチェは街なので床屋が何軒もあるのだが、できればもう少し落ち着いたところで散髪したい俺はクムジュンで切れれば最高だと思っていた。そして集落で床屋っぽいポスターを見かけたのだが、そこにいた方に聞いてもやっていないということだった。おそらく俺が見た情報はこのポスターを見てのことだったのだろう。

結論から言うとパサン・シェルパはガイドの仕事に出ていてロッジにいなかったのだが、俺が日本からパサン・シェルパに会いに来たというとわざわざパサン・シェルパに電話をして代わってくれた。パサン・シェルパも日本語ができたので日本語で大沢さんの本をみてここまでやってきた、パサンさんとも話せて大変うれしいと伝えることができた。パサンさんが戻る予定の日を聞いたが残念ながら合わなそうだった。しかし電話で話せただけでも大成功だろう。

クムジュンのさらに奥にあるクンデという集落まで足を伸ばしてみた。人によってはここから少し登ったSir Edmund Hillary viewpointという展望台まで行くようだが時間的にそこまで余裕はなさそうなのでやめておいた。クンデで老人に「ここに泊まるのか?」と聞かれたが、泊まりは下だと伝えると少しさみしそうだった。申し訳ない。

シェルパの少女

クンデからクムジュンを通ってサナサまで帰ろうと歩いていると、途中の民家で少女にコンニチワと声をかけられ、日本人かと聞かれた。そうだというとうちに寄って行けと言う。その後ろにはお母さんもいて、お母さんもぜひお茶を飲んでいけというのでお言葉に甘えることにした。
シェルパのおもてなしはなんといっても甘い(ヤク?ヤギ?)ミルクティーである。砂糖を何杯も入れた甘いお茶を出され、砂糖はもっといるか?と聞かれる。
彼女は髪を三つ編みにしてもらっていた

エベレストト街道では標高が高いところはシェルパ族の土地であり、ナムチェより上はたいていシェルパ族の集落である。そのこともあって前日に慌ててシェルパ語を調べ挨拶としてタシデレ(こんにちは)、トチェトチェ(ありがとう)だけ覚えておいたのだが、これは覚えておいて大変よかった。ネパール語で挨拶するよりシェルパ語で挨拶したほうが断然相手が喜ぶのだ。少なくとも「お、こいつはちょっと勉強してきたな」と思ってもらえて少し相手の気持ちをほぐすことができる。30分ほど談笑したあとお別れをした。可能であれば10日後、下山時にまた寄ると伝える。


晩御飯はパスタとフライドモモ。フライドモモは不味くはないけど、断然スチームモモのほうが美味しいとわかった。パスタはめちゃくちゃ多い。

ところでシェルパ族の少女はスマホを持っていた(TikTok大好きのようだった)のでWhatsAppを交換したのだが、家族でスマホをシェアしているのか帰国後も時折お母さんから電話かかってくることがあった。基本的にはすごく簡単な英語で会話をするんだけど、たまたま家で餃子を食べているところだったのでそれを見せてJapanese Momo〜といったら「オー、ギョウザ!」と言われた。まさか餃子を知っていると思わなくてびっくり。そしてさらに同僚のネパールの人に聞いたらネパールで餃子を知ってる人はいないはず、と。うーん、多分あの親子は本当に日本好きなんだな…