Friday, October 3, 2025

2024-10-16 ネパール・エレストトレッキング4日目 サナサ〜タンボチェ〜パンボチェ

窓からアマダムラムとローツェがきれいに見える。アマダムラムはこれから何日間も見続けることになる。

5時起床。今のところ高山病の気配はなし。もともと高山に弱い俺が4000m近くでも元気なので、ダイアモックスはやはり効いているのだろうか。朝食はサンドイッチ。スープは頼んだのかついてきたのか覚えにない。

宿代は4830ルピー。7時前に出発。

サナサからは一度谷底までぐっと降りる必要がある。そこでトイレに行きたくなったが食事にはまだ早い。ロッジにいた若者にトイレを借りたいと言うと無料で貸してくれた。ありがとう。張り紙にHAPPY NEW YEAR 2081とあるが、これはネパール独自の暦、ビクラム暦のこと。ネパールは西暦ではなくビクラム暦がけっこうメジャーで使われている。さらにネワリ族の使うネパール歴もそこそこメジャーらしい。それだけでもややこしいのだが、ビクラム暦に従うはずの祭日などは厳密に定まっておらず毎年政府が発表するまで翌年の祭日がわからないらしい。

ついでにネパールは国レベルでは唯一標準時から15分ズレという特殊な時差を持つ国で、国旗も唯一四角形ではない。なんというか、変なところで独自性を発揮する国だ。

谷を渡ったところで検問があった。まあツーリストのパーミッションを見せるだけでOK。

ずいぶんと登ってきて後ろを振り返る。写真の真ん中に見える小さな集落が今朝出発したサナサ。

11時すぎにタンボチェに到着。ここの寺院は周囲にある寺院の中でも特に格式が高いらしく、観光案内でもよく見かける。しかしまあ異邦人である自分にとっては格式はピンとこないし、拝観料がまあまあしたのでスルー。


タンボチェの少し先にあるディボチェという小さな集落でお昼ご飯。お気に入りのベジ・トゥクパ。同じタイミングで韓国のツアーがいたのだが、ガイドが店の人と話をしてすぐに食事が用意されていた。そういう融通を利かせてくれるのがガイドのいいところだな。韓国の人たちとは何度も顔を合わせていて、インスタントコーヒーをくれた。

アマダムラムと石段


午後2時20分、パンボチェ入口。ちょいちょいザックに寝袋みたいなのぶら下げてる人いるのなんだろうと思ってたんだが、ゴミを下まで運ぶボランティア活動のようだ。俺もタイミング合えば少しくらい協力してみたかったが、下りのルートではみかけなかった。

パンボチェは低部と上部に分かれている。ロー・パンボチェのほうがメインルートでロッジも多いのだが地図を見る限りどうせ明日同じところに合流するので今日のうちに登っても変わらんやろということでハイ・パンボチェまで登る。


ハイ・パンボチェまで登ってる途中にあったロッジはあまりに高級そうなのでパスして、ハイ・パンボチェにあるロッジにチェックイン。ここでだいたい標高4000mだ。


チェックイン後、集落を少し散策しているとロッジではないティーハウスがあった。お茶をいただいて日記を書いたりする。

写真を見ると晩ご飯もトゥクパを食べている。気に入ったというより胃が疲れていて食べやすいものを選んでいたと思う。食堂ではロッジの人も食事をしていたが、そこで初めて手で食べているのを見た。というかネパールに滞在していた期間、手で食べているのを見たのはここだけだったので手で食べるというのはほとんど廃れた文化なのかと思っていた。しかし帰国後、ネパールの人にその話をしたら、外ではスプーン、フォークを使うことが一般的になったけど家の中では今でも手で食べるのは全然普通らしい。ツーリストではわからないことがいっぱいあるものだ。

年配のドイツの人と話をして、彼のグループはEBCに向かったが自分はここが気に入ったからここでみんなが戻るのを待つよ、みたいなことを言っていた。まあ体力的な問題もあったのだと思うが。

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