Tuesday, March 28, 2017

2017-03-20 青春18きっぷ飯田線沿線階段巡りの旅(3日目)平岡〜飯田

二日目の夜は小和田駅につぐ秘境駅、田本駅で過ごしました。秘境駅ランキングでは小和田駅のほうが上ですが、曲がりなりにも木造のちゃんとした駅舎のある小和田駅に対し、田本駅の駅舎は屋根のある小さな小屋なので駅寝としては田本駅のほうが少しハード。

ところで駅構内で火気は使えないので、温かいものを摂るためには別のところでお湯を作って持ってくる必要があります。自分は前日に乗り換えの平岡駅で電車待ちの2時間弱の間に駐車場でお湯を作って、モンベルのアルパインサーモボトルに入れてきました。このサーモボトル、値段はサーモスより安いけど性能はサーモス同等を謳っているのでこのときのために買ってきたのです。実際前日20時に入れたお湯が翌朝6時でも熱くて味噌汁作るには適温でした。

集落に出るまで1時間近くかかる(しかも出たところも林道)という小和田駅と違って田本駅は15分でそれなりの車道に出るので、やっぱり小和田駅と田本駅では秘境駅度に隔たりがあるかなあ。ただ田本駅は普通電車がけっこう止まりません。それに対し小和田駅は各停がちゃんと停まる。それによって田本駅のほうが来づらい、というのはあると思う。実際平岡駅に行くのに田本からだと7時過ぎにならないと電車がない。

実は前日の夜電車の乗り換えで平岡駅に降りたとき時間があったので少し散策をして階段の目星をつけておきました。この地域はGoogle Mapsにおいて地図が詳細ではないので階段の位置がわからず、衛星写真と勘で階段の位置を推定していただけだったのです。しかも乗り継ぎの関係で平岡にいられるのは1時間ほど。車内で準備をして、電車を降りた瞬間に小走りで階段巡りを始めましたw この階段は国道沿いなのでストリートビューで見つけていた階段。でもストビューだと右側に商店があってそれがとてもいい感じだったのですが、残念ながらすでに取り壊されてしまっていた。

平岡駅周辺で最も素敵な階段。梅が横切っています。この階段は平岡発電所が建設されるときに資材を運搬するために作られた道で、インクライン、略してインクラと地元では呼ばれているそうです。と、案内には書いてあったけど、本当に今でもインクラって呼んで通じるのか、自分はちょっと疑っていますw

インクラを上から見ると、天竜川にかかる平岡橋も一直線に並んでいることがわかる。

ちなみに前日の夜歩いたとき平岡発電所前の広場に提灯がいっぱい吊るされていたけど、誰もおらず、ただちょうちんだけが揺れているという相当にシュールな光景だった。桜まつりの準備かもしれないけどこの地域に桜が咲くのはまだかなり先だと思う。。。

探したらもうちょっとは階段見つけられるとは思うんだけど、とにかく時間がなかったため切り上げ!でも大物は見つけられたと思う。またいつか来よう!

そして今回の旅の最終目的地、飯田へやってきました。今までの秘境感は一気に消え去り、もう大都会ですね。久しぶりにコンビニを見つけて写真撮ってしまったw 天竜峡より北部は天竜川の隘路となっている区間と違って、中央アルプスと南アルプスに挟まれた細長い盆地に河岸段丘が形成されている地形。写真を撮っているのが飯田市街地のある台地上で、下に松川という天竜川の支流が流れ、その向こうにも台地の崖線が見えています。

飯田線はこの飯田で大きくカーブを描いて市街地へ入っていくのですが、このカーブが俗にΩカーブと呼ばれたりします。そして先の写真の対岸にある下山村駅から伊那上郷駅まで電車は駅に停まりながら6kmを走るのに対し道路は2kmなので、下山村駅から伊那上郷駅まで走ってまた同じ電車に乗る、下山ダッシュが行われることになるのです。自分も興味はあるけど今回はそこまでの時間の余裕はない…

あと下山ダッシュは元々飯田高校の生徒が遅刻を回避するために生み出されたと言われているけど、現在の時刻表では下山ダッシュすることで遅刻を回避できるような時間に電車が走っていないので常態としては行われていないと思われます。あくまで好事家のイベントでしょう。

しかし見事な階段と民家、風景の組み合わせ。

追手町小学校前の陸橋から。情操教育にもってこいですね。

飯田城跡を突き抜けて台地の逆側に出ました。こちらは目立った川ではないですが小さな川が流れていてそのまた向こうに別の台地があります。

東栄町から飯田台地の先端(いわゆる塙)を眺めたところ。台地が2つの川に挟まれていて、先に城郭跡があるというのは金沢と同じ地形ですね。金沢城が位置する所に、飯田の場合は旅館が建っています。

しかしこちら側の台地間の迫り具合はなかなかよかった。下の川が小さいので、河川敷などはなく民家が密集しています。

いい階段ですねえ。

2つの台地を形成した川も、今では地図に名前が載っていないほど小さなものに。

主税町の階段。町名からわかるとおり、飯田の中心地です。しかしこのひっそりとした感じが裏路地っくでいいですね。

最後にラーメンか何か地元っぽいものを食べて行きたかったのですが、飯田でも4時間がっつり階段を巡って最後はけっこう慌てていたのでスーパーで普通のお弁当を買って飯田線の中で食べることになった。まあそれも自分らしいか…

3日間かけて飯田線沿線の階段群を南から北へと辿ってきましたが、それは日本列島の形成から有史以前の人間の生活、江戸時代、明治以降の近代化、そして現代の街へと繋がる非常にダイナミックな歴史を感じさせてくれる旅でした。階段は人間の生活の歴史である、というのがいつもの自分の主張ですが、まさにそれを表している地域といえます。ありがとう飯田線、また来るよ!


階段 is beautiful!

2017-03-19 青春18きっぷ飯田線沿線階段巡りの旅(2日目)佐久間〜中部天竜〜城西〜水窪〜夏焼集落

寝袋はモンベルの#3、ヒートテックにハードシェルまで着込んだので全然寒くないはず!と思ったんですが意外に寒くて30分毎に目が覚めて全然熟睡できないまま朝を迎えました。北アルプスのもっと過酷な条件でも熟睡してたんですけどね…

小和田駅の豊橋方面の始発は7時過ぎ。5時に起きて朝ご飯を食べると、5時半位にうっすら明るくなってきたので以前小和田駅にきたときたどり着けなかった高瀬橋跡をみたり、塩原集落のほうに少し行ってみたりしました。まあその辺は秘境駅レポートしてるひとがいっぱいいるので割愛します。

7時30分、水窪周辺の地形を眺めながらまた佐久間駅に戻りました。城西にいく電車は3時間後なので十分時間があります。(次の電車は30分後にあるけど、その時間じゃ佐久間が巡れないので乗らない)

昨日も夕方に少し見たんですが、佐久間駅周辺もなかなかいい坂をお持ちですね。

路地の奥にハツミ美容室という美容室がありました。実は昨日西渡地区にもハツミ美容室があったんですよね。この狭い地域に同じ名前の美容室が2軒…まさかチェーン展開!?家族関係があるのか知りたいところです。残念ながらまだ開店してなかったので聞けませんでした。

まずは中部天竜地区へ行こうとしたのですが地図で見るとこのトンネルを抜ける道路しかない。でも狭いし交通多いし大変危ない。なんでだろう…と思ってたんですが
実はこの飯田線の鉄橋、歩行者用の通路が作られていて人も渡れるそうです。なるほど…てかめっちゃ鉄橋渡りたかったな。

中部天竜地区は天竜川を挟んで駅のある東岸地区と国道のある西岸地区に分かれている。写真に見えるのは東岸地区。まあどっちも階段はそんなに多くないですw でも時間はあるので散策してみましょう。

中部天竜の東岸地区から佐久間駅方面をみたところ。のどかですねー。

西岸地区の天竜川沿いは川に向かって降りる階段が多くありました。でも自分は通り抜ける階段をメインにしているのでここは上から見るだけ。

西岸地区の上部から、中央に東岸地区と、左奥に佐久間。西岸地区は今でも現役の旅館がいくつかあるようです。

ここからは佐久間駅周辺。半鐘って写真撮りたくなるよね。

突然爆音で演歌が流れ始めたので何かと思ったんですが、少し歩いていくと車が止まっていておばあちゃんが買い物をしていました。どうやらあの演歌は販売車がきたということを知らせる音だったようだ。ちょっと買ってみたかったけど青果物が中心のようだったのでやめておいた。

左にあるのは佐久間中学校跡。そういえば佐久間の小学校と高校は現役のようだけど、中学校が廃校になってる。中学生だけ他の地域に通っているのだろうか?

城西駅にやってきました。相月駅で降りるか迷ったんだけど、相月〜城西間は階段の数は多くなさそうで時間は1時間以上かかるのでパス。また次の機会にしましょう。

お茶畑の間の階段は狙っていかないことにしたわけですが、城西の階段は民家とお茶畑が一体化していて不可分なのでこれはもう最高です!鼻血出そう。

この斜面、曲がり方、石垣、梅の花にトタン!階段のわびさび要素をこれでもかと詰め込んだ階段の宝石箱や!

城西から向市場方面に歩いていくと見覚えのある風景が…って電車の中でもう2回見てて気がついてるんですがw天竜川を渡りかけて戻ることで有名な飯田線の名所「渡らずの鉄橋」です。元々はこの山にトンネルを掘っていたんだけど岩盤が弱くて…といった話は飯田線の歴史を解説をしているサイトがいっぱいあるので興味あればそっちをお読みください。

でも鉄橋下を歩いてみると、これ、ほとんど天竜川を渡りきってるよねw

渡らずの鉄橋と階段のコラボ。天竜川の作った地形が生んだ風景です。

何か川に向かって降りていく立派な階段跡がありました。飯田線の関係のものだろうか。

ここから向市場まで国道を歩いていっても面白くないので山側の細い道を歩いて行くことにしたんですが、そこは旧飯田線(というか未成線)の跡でした。

向市場駅とその上に伸びる集落がみえます。写真だとわかりにくいですが、実際みてみると笑っちゃうくらい高低差があります。階段があれば上まで行きたかったな〜〜でも上の方には車道のみで階段がないのでスルー。

街道沿いの休憩施設をのぞいたところ明治、大正期の水窪の写真が展示されていました。非常に貴重な資料ですね。

川沿いはバイパスが走り、旧街道(塩の道)は少し上部を走っています。それをつなぐ坂道。昔は天竜川が氾濫するので少し高いところに街道があったんだと思います。

水窪に階段巡りに来ようと思った発端の階段。本当は階段の右にある鈴木屋旅館に泊まりたかったんだけど、電話したら数年前に廃業したとのことでした。左側も昔は旅館をやっていて、つげ義春が泊まったこともあるらしい。でも拡大するとわかりますが、階段は新しいタイル張りで、選挙ポスターが多く、正直ちょっと物足りない階段でしたw

でもこうやって上から眺めると街道の雰囲気はちゃんと残ってて、夜をみたいなって気持ちになりますね。

高台に登ったところ。正面に見える三角形の山は高根城跡。大河ドラマの井伊直虎の撮影に使われたらしく、水窪のいたるところで井伊直虎の幟が立っていました。

水窪の街中ではここの階段が一番よかったかな。上部はY字に分かれているいわゆるY段でもあります。

水窪の北部からさらに北側方向。水窪は中央構造線上の町です。この谷間で日本は分断されているわけです。ここ北上した静岡県と長野県の県境が、いまでも国道を通せないでいる青崩峠。国道も飯田線もこの中央構造線に泣かされてきたのですね。

少し時間があったので水窪駅よりけっこう北の方まできてみました。このあたりは縄文時代の遺跡もあり、今でも畑を耕していると土器片が出土するとか。塩の道は前史時代から続いていたのだと思うと胸が熱くなる。

水窪駅からみた水窪の街全景。左にある高台の中腹を塩の道が通っています。

さて水窪駅で16時の電車に乗るとまた大嵐駅にやってきました。また湯ノ島温泉に入るためでもありますが、もう一つ重要なミッションがあります。それは大嵐駅から南に向かう夏焼隧道を抜けた先にある、夏焼集落の階段を巡ることです。夏焼隧道は佐久間ダムができる前に飯田線が走っていたトンネルを集落用のトンネルに転用したもので、そこから先の県道はすでに通行止めになっているのでこの隧道はほぼ夏焼集落専用です(あと少数の釣り客)。


地図でみると本当にここに集落があるのか疑問に思うようなところですが、ネット上のレポートによるとまだ住んでる方がいるようなので廃墟ではないようです。率直に言えば今からここに住む人が増えるということは考えにくいので、遅かれ早かれここは廃集落になるでしょう。でもできれば人が住んでいるうちに生活の姿を残しておきたい。

隧道を出たところで車道は終わりますが道は続いているのでとみチャリで進みます。こんな道を走ることは想定されていないだろう可愛い自転車を選んでみた。

ここから集落への階段を登っていきます。

集落が見えてきました。外にはちゃんと洗濯物が干されています。洗濯物は生活の証。

住んでいる方にはお会いしませんでしたが、おそらく今お住いなのは3軒、多くても4軒でしょうか。でも車でアクセスできるところまで徒歩で15分弱、車に乗れば大嵐駅まで5分、その先に富山地区の商店がある、ということを考えると車さえあれば生活はできそうですよね。自転車でもいけるか?


Googleから借りているストリートビュー用の全天カメラで撮影し、ストリートビューにアップロードしておきました。ぜひ夏焼集落周辺でストリートビュー見て、どんなところか感じてください。

中央構造線による日本列島の形成、縄文時代から続く塩の道、近代化による飯田線、佐久間ダムの建設とその結果生まれた集落。非常にいろいろなことを感じ、考えさせられた一日でした。明日の階段は何を教えてくれるのでしょうか。