階段は坂と違って
存在がもう少し明確である。前回「すべての道は0度を極限とした坂である」ということを言った。ハングオーバーしたらおそらくは足で歩く道ではないし垂直な平面も壁であって道ではない。とすると坂道の取りうる範囲は0度から90度であり、実数なので切れ目がない。このことが坂の定義を難しくしていた。しかし階段は離散値を取る
のである。離散値とは間を取らない数のことだけど、もう少しわかりやすくいうと階段は自然数で1段、2段であり、0.5段、5/3段、π段のような段は持たない。当たり前かもしれないが坂では連続値だったので大きな違いである。もちろん階段においてもじゃあどこから段差なのかということを論じることも不可能ではないけど、坂においてあまりに小さな値を坂と言い張ることは空論のそしりをまぬがれないように、階段にとってもそこを論じることに対して意味はないだろう。実際段差をみて「これは段差か?段差じゃないか?」と議論することほど不毛なものはない。
だけど階段は何段から階段か?
ということは少し考えなければならない。なぜなら「東京の階段」の筆者であり階段の第一人者、松本 泰生氏はブログでこう述べている。
段数が1段の場合は、一般に「段差」と呼ばれることが多い。歩道と車道の間なども1段なので、1段から階段として扱ってしまうと厄介だ。従って2段は、階段としては最小。
http://blog.goo.ne.jp/tokyostair/e/bbedc669ec71c51101fd0b59de0e8033この考えを否定するわけではないけど、ここには坂のときに書いた目的論的視点がないと思う。歩道と車道の間の段差はそこを登って通行することを目的としていない。むしろひとつのバリアとして機能することが目的であろう。すべての斜面が坂でないように、通行目的の段差こそ階段で、その目的があれば段差は階段なのである。
一段でも階段 |
もちろんこれが最終的な階段の定義であるというつもりもないけど、自分はこの先々階段の分類も行なっていきたいと思っている。そのためには最初になるべく広く間口を取り、そこから切り分けていくのが得策だと思っているのだ。ここまでが階段でそれ以外は階段ではないとしてしまうとあとあと問題が発生しやすい。
そんなこんなで階段の定義はできたわけだけど、これによって
階段は見つけやすい
というメリットを得ることになる。目で見てすぐに階段と認識できるのである。その結果坂道と違い階段は地図に明示されることになった。地図を見ればどこに階段があり、どれくらいの大きさなのかということがわかるのである。有名坂を離れ、無名坂の漠然とした存在にさまよっていた私達にとってこれは光明である。階段が集まる土地
というのは意外に少ない。これは人間の生活形態と文明の発達に原因がある。人間は本来平らな場所に住もうとする。それはもちろんそれが最も労力が少ないからである。災害や外敵から避難するためある程度高台に住むことはあっても住みやすい平地があるのにあえて斜面から先に住んでいくことはないだろう。そのため人口の大きな街というのはほぼすべて平野や盆地に集まることになる。
しかしある大都市の外郭として小さな平地に形成されたのに他の事情で大きく発展してしまった場合、平地には人を収容しきれず斜面に住まざるを得ないことになる。これが長崎や横浜といった坂・階段の街ができた由来であろうと推測している。
東京はある程度台地があるといっても横浜や長崎ほど急な斜面はなく、車文明の到来とともに階段はならされ舗装されなだらかな坂へと変貌していった。しかしそれ以上に急な斜面を抱える土地では逆に人口の増加とともに階段が増えていったのではないか。
そのような理由があるので、階段が広範囲に渡って集中している土地というのは長崎・尾道・横浜くらいで他にはないのかもしれない。
それでもまだ見ぬ階段がある。
有名坂は数が限られているし、坂はあまりに果てしない上に見てもぼんやりしているものが多く、素晴らしい坂を見つけるのは大変だ。それに対して階段は地図で探せてある区画に限定すれば全部回ることが可能だ。その上日本全国どこでも階段はある。なるべく階段が多くあるような場所にいけば必然的に見た目が素晴らしい坂に出会える可能性も高くなるはずだ。そう、階段巡りは実は坂好きのサブとしても最適な趣味なのである。
そうやって坂・階段を回っていくと、きっとあなたも階段の魅力にどっぷりとはまることでしょう。
No comments:
Post a Comment