Friday, June 23, 2017

2017-05-07 GW階段巡りツアー5日目 三重県紀北町 島勝 尾鷲市 須賀利

魚見小屋で目覚めると昨日の雨はどこかへ行き、綺麗な日の出を見ることができました。2日連続でこんな日の出をみれるなんて、いったい前世でどんな徳を積んだのかと不思議になってしまいます。

魚見小屋を外からみたところ。なかなかですよね。窓は閉まってたのを開けました。

昨日登ってきた道を戻りますが、途中で集落に直接降りる分岐があったのでそっちから降りました。時間は短くなるけど代わりに傾斜がきつくなる。

島勝に戻ってきました。完全に集落の裏道で特に看板もないので、こっちから登り始めるってのは難しいな。

島勝はGoogle Mapsの地図が詳細ではない地域なので階段があるかどうかはっきりしなかったんだけど、けっこういい階段があった。島勝のための時間とっておいてよかった。

島勝は廃墟率低め。新築もあったけど新築は集落の逆側の谷沿いの平地だったので、そっちは新しく切り開いた場所なのかもしれない。そっちに中心が移ればこっちの斜面は段々空き家になっていくだろう。

島勝浦体験交流施設「けいちゅう」。集落内で何回かけいちゅうという表記をみたんだけど、たぶんここが桂城中学校跡で、桂中、けいちゅう、なんだと思う。地元の人間しかわかんないってw

島勝に別れを告げ、須賀利に向かって峠を登り始めます。正面の尾根をずっと登っていった先が魚見小屋。

峠道の途中で、漁港でトイレを貸してくれたおじさんが犬の散歩をしていました。そこでまた話をしたんですが魚見小屋に泊まったという話をしたら「あそこに泊まったの?ダニがすごかったでしょ」と言われましたw ダニ防止のために虫除けしてエマージェンシーブランケット敷いて寝てよかった… ちなみに帰ってからも念のためにザックや寝袋を天日干したし、部屋でかゆくなるようなことは起きてません。野宿には虫よけは必須ですね。

何度か見かけた注意書き。「この附近で行為をするには知事の許可が必要です」ってなんとなくエロい響きがしませんか?

峠を下って最初にあった数軒の集落はすでにすべて空き家になっていました。

おそらく旧須賀利中学校。かなり廃墟化が進行しており、たぶん20年以上前に廃校になっているんじゃないだろうか。公共施設が取り壊されることなく廃墟になっていくのはあまり見ない。

須賀利中学校の裏には小さな集落があり、ここはまだ住んでいる人がいるようだった。

ここから須賀利のメイン集落。湾に沿って細長く集落が続くタイプの漁港。このタイプは横に広がることで居住環境を確保するので、斜面の上には広がらず階段がないことも多い。それでも斜面の上に住宅があるってことは横への広がりだけでは不足するほど発展した時期があった、ということです。

須賀利は現代的な視点では最近まで車でアクセスできなかった不便な土地ですが、海運がメインであった江戸時代においては重要な廻船の風待の港であったのです。

しかし当然今は過疎が進行中で、地区の人口は200人前後、人が住んでいる家屋は100軒ほど、とのことであった。自分が歩いてるときも家を片付けている方がいて、もう空き家になると言っていた。

また地区の復興に関わっている方にお話を聞くことができた。それによるとこの集落の中に格安で泊まることのできる民家を再利用した施設を整備しているところだそうだ。それはぜひ利用したいですね。

家の前に貼られた手形は「ますかけ」といい、米寿を祝って友人知人に配るものだそうです。去年尾鷲の他の漁港を歩いたときもよく見かけた。ただ島勝のようにまったくない集落もあるし、各家に貼られている集落もあるのでかつてはこの地域一帯の風習だったんだろうけど今はけっこう飛び飛びになっている印象。住民の方は鳥羽の答志島でも見たことがある、とおっしゃっていた。また友人知人に配るものなのでこれが玄関先にいっぱい貼ってあると交友関係が広い、という一種の見栄的な要素もあるそうである。

須賀利小学校は既に廃校になっているが、比較的新しい。この地区の小中学生は尾鷲市が手配したタクシーで峠を越えて島勝よりさらに先の学校に通学する…と昨日のタクシーの運転手さんが言ってたけど、今はそもそも就学年齢の子供がいないそうです。

対岸の山の向こうには外海に面した湾があり、元々はそっちに須賀利の集落があったそうです。それがあるとき高潮で街が流され、今の須賀利と島勝に分かれて移住したという経緯があるらしい。須賀利小学校の遠足でその元須賀利まで行くというイベントがあったと聞きました。今はもう1軒も家はなく道路も通じてないけど何か道が残っているのだろうか。次に須賀利に行ったときはぜひ訪れたいと思う。名残惜しいけどそろそろ須賀利をたたなくては。

帰りは島勝に戻らず寺倉峠という峠を越えていきます。須賀利に道路が通じていなかった時代は尾鷲まで巡航船があったわけですが、船が出せない天候で緊急に街へ出ないといけないときはこの峠が唯一の陸路だったそうだ。さらに巡航船というようなものもない時代は、この峠を越えて降りた先に湾を渡る渡し船が存在したとも聞いた。


地図の中心が寺倉峠、その南にあるのが須賀利集落。峠の北側にはなにもない。数年前に登山グループが道を整備したがそのあとは特に手入れされていないので荒れているかも、と聞いたのですが特にそんな困難な場所はなく普通に歩いていけました。須賀利から北側の海に出るまで1時間くらい。ただし降りたところは林道でなにもなく、そこから林道を歩いてバス停に出るまでさらに1時間ほどかかる。これがけっこうきつかった。まあ朝からずっと歩き続けてるしね。

当初は湾を回り込んで対岸の海山地区、そしてその先の相賀駅まで歩いていこうと思ってたんですが5日間と朝からの強行軍の疲労で気力の限界に達して、バス停でバスに乗って尾鷲駅まで戻りました。

バスに乗ってるときに去年尾鷲きたとき時間がなくて尾鷲の街中にある階段数か所を巡ってないことを思い出し、限界に達した気力をさらに絞って見に行ってきました。

尾鷲の中村山公園から見た景色。中央左の半島を入っていったところが須賀利。

帰りは東京まで夜行バスで、尾鷲から乗ることもできるんですが、熊野にある銭湯にどうしても入りたかったのであえて熊野まで電車に乗って移動し、ときわ湯に入ってきた。ここは素晴らしくいい銭湯だった。5日間の疲れを流し、湯船に浸かりながら上町台地、和歌山、尾鷲と巡ってきた道のりを思い出す。長いようにみえてあっという間で、日常という奇跡的な美しさの連続。今回も忘れられぬ階段巡りとなりました。

ああ、階段よ永遠なれ…!!

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