2026年6月20日土曜日

2025-11-05 ネパール エベレストトレッキング再 5日目 ブプサ〜パイヤ〜スルケ 10時間の長丁場

​


5時半起床。朝食はトマトスープのみ。宿泊費2050ルピー。

ロッジの鴨居に白い点々がある。他でも何度か見かけたので魔除けかなにかだろうか。

10分も歩くとブプサに到着。商店が見当たらなかったので適当なロッジで水を購入。なかなかアクアタブレットを入手できない。

北欧(スウェーデンだったかな?)の老人二人組がこれから俺らと同じくレンジョラパスに向かうと言っていた。ガイドポーターなしのようだが俺らよりずっと早いしきっと大丈夫だろう。しかし彼らは俺らと逆周りだと言っていたのでもしかしたらどこかでまたすれ違うかと思ったが会えなかった。



2時間歩いたところでお茶をする。猫がいっぱいいた。ネパール全体で犬派なので猫が複数いるところはめったに見ない。

そういえばトレッキングルートではよくインスタントラーメンの袋やスープの小袋がよく捨てられてるのだが、昨日のロッジの息子が「俺らは"no cook"で食べる」と言っていた。最初は意味がわからなかったがお湯を入れないでそのままボリボリ食べるということらしい。そして安いからポーターが歩きながら食べているようだ。だからスープの小袋は使わないで捨てるんだな。謎が解けた。彼は「体には良くないから俺はそんなに食べないけど」とも言っていたが。


11:30タムダンダThamdandaに到着。タムダンダは少し前まで車が入って来れる最後の地点でグーグルマップにもタクシー乗り場としてプレイスがある。しかし今はもっと先まで車道がつながっているのであえてここで乗り降りする意味はあまりないだろう。


タムダンダにあるティーハウスでランチ。パスタとガーリックスープで1000ルピーとかなり高め。

グーグルマップの衛星写真でみるとタムダンダからパイヤPaiyaまではずっと森だが今は車道がある。しかも土砂を谷にどんどん落とすので斜面がむき出しの土になっている。そして車道の下に時折石畳の歩道が見えるところがある。そこが旧道なのだろう。もう歩けないが。

ここまでの道が車道としてはかなり厳しくジープが苦労してるのも何度も見かけたのでバスが入ってくるとは信じがたかったんだが、バスが置いてあった。すげえ、本当にここまでバスが来れるんだ。とはいえ、ジュビンからスルケまで二日間でバスが走ってるのは一度も見なかった。

パイヤは少しリッチな雰囲気のロッジが多い。ちょっとお茶をする。少し話した単独トレッカーがザックにピッケルをつけてたのでどこに登るのか聞いたらアイランドピーク(6189m)を狙うと言っていた。エベレストに限らず6000m以上のピークを狙うときは登山許可が必要で、けっこう登山料が高い。

パイヤで見かけた古い木製の電柱。なんてことないように見えるが、パイヤに電気がきたのはかなり最近のはずなので、古い電柱があるというのはちょっと不思議なのだ。ここ以外は新しい電柱だった。


そこから先はスルケSurkeまでひたすら下り。なかなかしんどかった。17時にやっとスルケに到着し適当なロッジにチェックイン。昨日の登りの影響で筋肉痛がひどかったのだが、途中ロキソニンを飲んだらまあまあ楽になった。荷物は自分で持つが薬には頼る方向で。



スルケはかなり多く車が止まっているが、トレッカーは少なく多くはローカルの労働者のようだ。谷の上からスルケを見たとき対岸に大きな集落があって、あんなとこに集落あったかな?と思ってグーグルマップで見ると衛星写真には畑が広がるだけだった。つまりここ数年で一気に建物を建てたのだろう。どうやらその上で工事をしているらしく、ちょっと急激に開発しすぎ感が強い。

スルケは大きな商店がいくつかあったがそういったローカル労働者向けの店のようで、アクアタブレットのようなトレッカー向け商品はなかった。


夕食はチョーメン(焼きそば)。メニューに立派なラーメンの写真が貼ってあったが100%こんなラーメンは出てこないだろう。宣伝に臆面もなくめっちゃ適当な写真を使うのはネパールあるある。

携帯の電波は入らないがロッジのWi-Fi使わせてもらったらめっちゃ速かった。

2026年6月19日金曜日

2025-11-04 ネパール エベレストトレッキング再 4日目 プレリ〜ジュビン〜カリコラ~ブプサ 地獄の登り


5時半起床。夜明け前に外をみると左側山の上に明かりがいくつも見えている。明るくなってから確認すると小さな集落があった。崖のような斜面の上にあり、とても車道はつながっていないような場所だ。ネパールにはこういった、徒歩でしか到達できない集落が無限にある。

ただ明かりがいくつもあることからわかるけど自家発電ではなく電線が引かれているようだ。ネパールのインフラの優先度は携帯電波>電気>車道になっている。

※携帯基地局もソーラーパネルで動くのものがあるようだ。その場合日中またはバッテリーが続く間しか使えない。山中で夜ネットワークが使えないことが多いのはそのせいかも。


朝食はパンケーキ。多くはないと思うが食べきれず彼女に少し食べてもらう。部屋代は食事含めて2820ルピー。部屋が1000ルピーというのはけっこう強気。ボラれてるのかもしれない。


ロッジは商店も兼ねていてけっこういろいろ売っていたが、水の消毒薬のアクアタブレットはなかった。去年買ったアクアタブレットがまだ少し残ってるが、あと数日でなくなる。まあエベレスト街道に合流すれば確実にあるはず。ボトルに貼ったNEPATOP PLUSのシールはネパールのウォータータンクメーカーをオマージュして自作。

7時過ぎに出発。プレリは標高1900mくらいなのでまずは400m下がる。

カリコラKHARIKHOLAまで3時間と表記。しかし現地の人と話すと、目的地までの時間をネパールの人は必ず(荷物持たずに歩く)自分を基準に答える。彼らが3時間といったときは6時間みておいたほうがいい。俺らが特に遅いってのもあるが。実際ここからカリコラまで5時間かかった(途中迷ったりしたが)。

案山子を見かけたら撮るようにしてるのだが、これは案山子なのか井戸を保護するものなのか不明だった。

子供たちが葉っぱを集めている。燃料なのか、たい肥作りなのか、別の何かなのか不明。(堆肥説が濃厚)


8時半に橋の近くまできたのでロッジでお茶休憩。マスターとなんか話したけど忘れてしまった。


事前の情報ではJuvingには吊り橋があるだけだったが、車道が作られ実際に重機やジープが渡っていた。ほんと1年で変わるので情報が当てにならない。ただここから登る車道はかなり傾斜がきついうえに超悪路で、とてもバスが通れるとは思えない。バスがエベレスト街道の方まで行っているとしてもこのルートではなく別の道があるのだと思う。

途中のロッジですれ違ったガイドにブプサまで行くつもりというと「あと3時間だね!」と気軽に言われる。そんなわけねー


このあたりは他のトレッカーの記録を見てても道を間違えたという話が多かったのだが、俺らもご多分に漏れず道を間違えてしまった。まあ完全に間違えたわけでもないがあまり使う人のいないマイナールートに入ってしまい、踏み跡が怪しい。


地図にある細い道はこの先崩れてるように見えて危なそうで、地図にはないけど尾根を登っていく方が安全そうだったのでそっちに切り替える。なんとかお寺の裏に出ることができて一安心。しかしこれで1時間くらい余計にかかった。


14時、疲れたのでカリコラのロッジでお茶休憩。

このあたりの畑で栽培、収穫されている植物だが結局これがなんなのかわからずじまい。

単独日本人とすれ違って少し話をする。彼はディンボチェ(標高4400m)まで行ったがそこで雪に捕まり1週間移動できず、日程的にそれより上に行くことは諦めて下山してきたらしい。普通雪のシーズンはもう少し先なのだが、この年は異例に10月後半に大雪が降り各所で雪崩などの被害が発生した。俺たちはまさに雪が止んだタイミングでネパールに到着したのでとても運が良かったのだ。

2024年も大雨が上がった直後にネパールついてたし、かなり強運。




カリコラからブプサまで300m登るがこれがとてもきつかった。少し登っては休む。ブプサのほんの手前のところにいい雰囲気のロッジ Tara Lodgeがあったので声をかけるとOKだった。部屋は2つのみ。部屋の電灯もなし。グーグルマップには未記載。


ロッジのマスターはほとんど英語ができなかったが、たまたま息子が帰省中で彼はけっこう英語が話せるので彼に食事の注文などを伝えた。彼はカトマンズで大学生をしているらしい。日本に興味があって鬼のタトゥーを入れたいと言っていた。

大学の専攻なのかわからないが経済に興味があるようで日本の経済についてもいろいろ言われたが、俺としては経済だけを追求するのではなく同時に自然環境や労働環境にも目を向ける必要がある、日本は戦後経済的発展はしたがそういう失敗も多かった、というようなことを簡潔に話した。

胃もたれが始まったので胃薬を飲む。前回胃もたれにかなり苦しんだので今回は胃薬をたくさん持ってきた。

彼女は洗濯をしていた。


ガスがなく薪で料理しているようだった。そのためめちゃくちゃ時間がかかる。ダルバート、モモ、ララヌードルが出てくるのに2時間かかった。でもまあこういう時間を味わうためにここまで来ているのだ。

ただ量はここも多すぎで、半分しか食べられなかった。ネパールの文化では残すことをあまり気にしてないのだと思うのだがやはり減らして頼まないとな。

カリコラの夜景が見える。